韓国ドラマ:『王と私』完全攻略ガイド〜忠臣チョソン、内侍の本分
まずは内侍(ネシ)とは何なのでしょう。高句麗時代に設けられた役職で、朝鮮時代には去勢された男性がその役職を独占するようになりました。彼らは容姿端麗で頭脳明晰でしたが、政治に参加することは許されませんでした。それでも身分を問わず志願できたため、出世と富を求め去勢して内侍になる者も少なくありませんでした。巫女に育てられたチョソンは、実の父がこの内侍の首長に裏切られて死んだとは夢にも思っていませんでした。
15世紀半ば。甥から王位を剥奪したセジョ(世祖)が王位に就きました。宮廷内はセジョ王への反発がくすぶり続け、謀反を企てる者がありました。内禁府衛大将キム・ジャミンも王暗殺を計画していましたが、親友のチョ・チギョムの裏切りに遭い、殺されてしまいます。妊娠中だったジャミョンの妻オ氏は、夫の死を悼む間もなく山中を逃げまどい洞窟で男子を出産。間もなく川の中に消えました。赤ん坊は強運にも巫女に拾われ育てられます。
赤ん坊はチョンドンと名付けられ、巫女ウォラを実母と思いすくすくと成長していきます。イェジョン王の甥、者乙山君(チャウルサングン)と知り合い、2人は身分を超えて友情を育みます。ある日、者乙山君のたっての願いで、いっしょに旅芸人を見ようと街に出かけます。見るもの全てに好奇心旺盛の2人は、盗みの現場を見てしまいます。それを知った無法者たちに2人は捕まると、何者かの通報で、内侍府長チョ・チギョムが動きます。
チョ・チギョムに知らせたのは、両班の娘のユン・ソファでした。市場で初めて会ったチョンドンと者乙山君の危機を、救ってくれたのでした。その日から少年2人はソファに幼い恋心を抱き始めます。ソファの方はチョンドンには身分を超えて兄のような親しみを感じ、凛々しい者乙山君を慕っていきました。ある日、者乙山君は許嫁を会わせてやると、チョンドンを供に連れて出かけます。着いたのはソファの家。チョンドンは慌てます。
内侍府の権力を握るチョ・チギョムは王の発令した、内侍禁婚令をどうしても受け入れることはできませんでした。チギョムも内侍。子を成すことができません。そのため結婚して養子を持たなければ、家を存続することができません。王との直談判した末、発令は取り下げられますがチギョムは失脚。それでもチギョムは者乙山君を王に即位させます。優秀な養子が欲しいと思っているところ、ソファの手紙を持ったチョンドンに出会います。
これまでもチョソンは燕山君(ヨンサングン)の蛮行を批難した忠臣として、映画『王の男』などで描かれてきました。しかし内侍として取り上げられるだけで、彼自身の人生には光りが当てられたことはありませんでした。また内侍と言うと自分の感情を表に出さず、どこか女性的でナヨナヨしているという解釈をされがちでした。しかし『王と私』のチョソンは逞しく男性的で、女性に恋をするという設定。感動し涙する、人間的な内侍の姿が初めて描かれました。
キム・チョソン(金処善)は、朝鮮4代王世宗(セジョン)、文宗、燕山まで7人の王に仕えた内侍です。その中でも最もソンジョン王から医薬の知識があることで、信頼されていました。政治について歴代の王にしばしば意見したため、島流しと復職を繰り返しましたが、内侍として最高位の尚膳内侍まで上り詰めています。しかし1505年に燕山君の怒りをかい処刑された上、一族の墓は破壊され家は池にされました。少なくとも5、60年は宮廷に仕えていたようです。
大きな目に、日焼けした体躯の韓国人ばなれした風貌が彼の特徴。99年に初舞台を踏み、『ヘドウィック』や舞台版『王の男』と言われる『璽(イ)』(映画ではイ・ジュンギの演じたコンギルが当たり役)で、評判を得たミュージカル界のスターです。ドラマは『ぶどう畑のあの男』や『外科医ポン・ダルヒ』に出演。『王と私』で初の主役を射止めました。サッカー好きで有名で、芸能人チームをいくつか掛け持ちしキャプテンも務めています。
王も操り宮廷の権力を握るチョンヒ大王大妃に、『宮廷女官チャングムの誓い』のヤン・ミギョン。チョソンを養子に迎えるチョ・チギョムに『朱蒙』のチョン・グァンリョルと時代劇の重鎮を主要な役に配置する他、『彼女はボス』のアン・ジェモ、アイドルグループ“ピンクル”の元メンバーのイ・ジンも参加。ソファ役のク・ヘソンはこのドラマ出演後に、韓国版『花より男子』で、朝鮮時代の中宮から高校生にどーんとイメージ・チェンジ!?